むかしある病理医は脳腫瘍の患者さんの脳を拝見しても「どこまで脳腫瘍なのか、なかなかその区分けが難しい」と言っておられました。ということは、脳外科医は生前の患者さんの脳腫瘍をどこまで摘出したらいいかどうか、大変惑わされるのではとの疑問を持った事がありました。 ところが最近、脳腫瘍の部分とそうでない部分とを鑑別する方法が開発されたようにもお伺い致しました。それはどういう事なのでしょうか?(肉眼だけの鑑別だけでなく細胞レベルまでの鑑別の拡大解釈はできるのでしょうか?)ご教授いただければ幸いです。
なお、このような鑑別方法が脳腫瘍に限らず、一般臓器のがんにも拡大適応は可能なのでしょうか? もし可能だとしますと、どのような臓器にどの程度まで適応できるのでしょうか?
手術中に正常の脳と悪性脳腫腫瘍(脳のがん)を目で見ながら鑑別する事が出来る方法が開発されました。それ以来、悪性脳腫瘍だけを取り切る事が出来るようになり治療成績も格段に良くなりました。
悪性脳腫瘍(脳のガン)は、がん細胞が正常の脳の中にしみ込むように浸潤して、正常の脳の中で大きくなるため正常脳とがんの境目がはっきりしません。さらに、正常の脳と悪性脳腫瘍は見た目や、触った感触で鑑別することは非常に難しく、手術中に悪性脳腫瘍だけ切り取ることはベテランの脳外科医でも困難でした。手術後のMRI検査で大部分を取り残している事がしばしばありました。万一、大きく悪性脳腫瘍を切り取って、その中に正常の神経細胞が含まれていると、手術後に麻痺や言語障害などの後遺症が出るために大きく取り切れませんでした。
ところが、約30年前に悪性脳腫瘍の患者にある物質を飲んでもらって手術中に青色のレーザー光を当てると悪性脳腫瘍だけが赤く光る不思議な現象が発見されました。正常の脳は光らないのです。
この物質がALA(5-アミノレブリン酸)です。この方法を光線力学診断といいます。なぜ悪性脳腫瘍だけが赤く光って、正常の組織は赤く光らないのかは、がん細胞の特別な化学変化にある事がわかりました。ALAは自然にあるアミノ酸ですべて人間の体でも作られています。がん患者に外からALAを投与するとALAは細胞に取り込まれてミトコンドリアでプロトポルフィリンⅨに化学変化します。その後、このプロトポルフィリンⅨはフェロケラターゼと言う酵素の助けで鉄イオンと結合してヘムと言う物質に変化するのですが、がん細胞ではフェロケラターゼの働きがなどが悪く、がん細胞の中にヘムになれないプロトポルフィリンⅨが沢山蓄積します。がん組織のプロトポルフィリンⅨの組織内濃度は正常脳組織に比べて8倍以上あり、正常脳組織にはほとんど蓄積しません。
このプロトポルフィリンIXに青いレーザー光をあてると赤く光る性質があります。ですので、手術中に悪性脳腫腫瘍のある場所に青いレーザー光を当てると悪性脳腫瘍だけが赤く光り正常の脳と肉眼で簡単に鑑別出来ます。
悪性脳腫瘍の場合に赤く光った組織のうち85-96%はがん組織である事がわかり、日本中のほとんどの脳外科では手術中にこの方法を利用して悪性脳腫瘍を切り取っています。悪性脳腫瘍の光線力学診断を用いた手術は2013年に、膀胱がんの手術は2017年に保険診療が出来るようになりなりました。現在、尿や腹水の細胞診断、子宮がん、胃がん、皮膚がん、乳がん、腹膜播種などの術中診断に応用するための研究が進んでいます。さらに詳細をお知りになりたい方は、金子貞男著「奇蹟の物質ALAの医療革命」(SBクリエイティブ株式会社)をご笑覧ください。
札幌禎心会病院脳神経外科脳腫瘍研究所所長
金子 貞男
The Way Forward No.21, 2022